めぞん考
■落ちてゆくのも 2006年01月11日(水)
第7巻の五代君が骨折する話、「落ちていくのも」というタイトルは、ジュリーこと沢田研二の曲「時の過ぎ行くままに」(1975年)の歌詞から採っているものと思われます。 第1話「隣はなにを・・・!?」でも、いじけて押入れに篭ってしまった五代君に追い討ちをかけるように四谷さんが「おちて〜ゆくのも〜」と歌いかけていますね。 ちなみに、↓こうゆう曲です(MIDIが聞けます)。 http://www.fk.urban.ne.jp/home/kazuaki3/utagoe-92.htm これはもともと沢田研二主演のテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」(1975年)の主題歌でした。






■振り袖コネクション 2006年01月02日(月)

あけましておめでとうございます。 今年も「めぞん考」よろしくお願い致します。 さて、お正月らしく、第9巻の「振り袖コネクション」の響子さん、こずえちゃん、そして八神の着物姿を模写してみました(未亡人=既婚者の響子さんは振り袖じゃないです)。 このタイトルはおそらくアメリカ映画「フレンチ・コネクション」(1975年、ジョン・フランケンハイマー監督)のもじりなんでしょうね。 http://images-jp.amazon.com/images/P/B000185DAI.09.LZZZZZZZ.jpg






■響子と惣一郎 2005年12月25日(日)
第3巻「響子と惣一郎」で、坂本が飼っているネコの名前は女優の真野響子(まや きょうこ)にちなんで名づけられていました。 ↓真野響子 http://dir.yahoo.co.jp/talent/31/w93-2771.html 夫はテレビドラマ「さわやかな男」(1977年)で共演したのがきっかけで結婚した柴俊夫、妹は女優の真野あずさです(ちなみに、こっちは「まや」ではなくて「まの」と読みます) この当時の代表出演作はNHKの時代劇「御宿かわせみ」(80−81年、82−83年)などで、しっとりと清楚で芯の強い女性を演じていました。 さてこのタイトル、「○○と○一郎」のソースかどうかはわかりませんが、昔「さくらと一郎」という、男女ペアの歌手がいました。1974年に「昭和枯れすすき」が大ヒットしました。 http://www.ne.jp/asahi/sgmori/mitarashiya/ippatsuya/html/sakuratoichiro.htm






■紅白歌合戦 2005年12月22日(木)

第3巻の「あなたのソバで」は、1981年の大晦日の夜、五代君が管理人さんの部屋で2人きりで(下心たっぷりで)紅白歌合戦を見る話です。 当時の紅白はまだ高視聴率を誇り(この年は関東で74.9%)、文字通り「国民的番組」の名に相応しいものでした。 「紅白歌合戦」歴代視聴率 http://www.videor.co.jp/data/ratedata/program/01kouhaku.htm さてこのエピソードの中で、テレビの中のアナウンスとして、「白組の善戦むなしく、紅組の圧倒的勝利で幕を閉じました」とあります。 でも実際の紅白のこの年の勝者は、白組でした(笑) ま、漫画は前もって描いているんですから、当たり前なんですけどね。 ちなみに司会は黒柳徹子と山川静夫アナ(総合司会は3年後の紅白で「みそら・・・」事件を起こした生方恵一アナ)、 また、初出場は近藤真彦、川中美幸、山本譲二など、 そしてトリは紅組・森昌子(「悲しみ本線日本海」)、白組・北島三郎(「風雪ながれ旅」)でした。 参考サイト http://www1.plala.or.jp/nakaatsu/index.html






■夏目漱石 2005年12月08日(木)
第9巻「こころ」では、その名通り、夏目漱石の小説「こころ」が登場します。 この小説の主題は三角関係なので、それと、八神の五代君を巡る響子さんとの関係をなぞらえているわけですが、もっとも小説の内容自体にはあんまり関係がありません。 むしろ漱石との関わりで言えば、この年(1984年)に新紙幣が発行され、千円札にはそれまでの伊藤博文に代わって漱石の肖像が登場したことでしょう。 資料によれば「めぞん」のこの話の載ったのは「ビッグコミック・スピリッツ」10月30日号で、新札発行は11月1日です。新千円札が漱石になることは前から話題になっていたし、そして「めぞん」掲載直後に新札が発行されたわけですからタイムリーなネタ振りだったということになります。






■レオタード 2005年12月06日(火)
第5巻「見るものか」では響子さんのレオタード姿が見られます。 1980年代初め頃、ジャズダンスやエアロビクスがブーム化していました。 この年(1983年)公開されたダンス映画「フラッシュ・ダンス」の中で、ヒロインがレオタードの上にオフショルダーのカットソーを重ね着し、足元はレッグウォーマーという姿が評判を呼びました。 http://www.simpson-bruckheimer.com/flashdance/flashdancestory.htm






■マッケンロー 2005年11月30日(水)
↓で思い出したんですが、三鷹コーチが犬嫌いを克服するために飼っていた犬の名前が「マッケンロー」でした。 おそらくテニスのジョン・マッケンロー(1981、83、84年ウインブルドン男子シングルス覇者)にちなんでつけたのでしょうね。 ↓ジョン・マッケンロー http://www.suntelephoto.com/cgi-bin/viewer.cgi?p=/upi/sports/UPI0307-sp02.jpg






■テニスブーム 2005年11月30日(水)
第1巻「金網は越えられない」で、響子さんと一の瀬さんが近所の奥様方に誘われてテニスクラブに入ります。でもまさか会費がタダじゃあるまいし、響子さんはともかく一の瀬さんのどこにそんなカネがあったのか、ちょっと不思議な気がします。 それはともかく、このマンガで主婦のテニスクラブが出てきたことにも、それなりの時代背景があります。 そもそも日本でテニスというものが広く一般に認識されるようになったのは1959年(昭和34年)、現在の天皇皇后である当時の皇太子と正田美智子さんの、いわゆる軽井沢での「テニスコートの恋」からだと思いますが、ただ当時の貧しかった庶民にとっては手の届かないまさに「高嶺の花」、「上流階級のスポーツ」でしかありませんでした。 しかしその後の高度成長期に日本が豊かになるにつれ、「レジャー」が国民生活の重要な部分を占めていきます。そしてテニスが比較的身近なものになったのは75年に沢松和子と日系二世のアン清村のペアがウィンブルドン大会の女子ダブルスで優勝するなどの活躍がきっかけで「テニスブーム」がおきたことでした。更に、70年代半ばからサントリーやセイコーなど企業の冠のついた国際大会が日本で開催されるようになり、ジミー・コナーズやビヨン・ボルグなど当時のテニス界のスーパースターたちが続々来日したことも拍車をかけました。これにより日本各地にテニスサークルが次々と開講され、78年あたりからは、テニススクールを中心とする女性層のテニス人口拡大を引き起こし、「めぞん」の始まった前年である79年にはピークに達して参加人口は約1,570万人を数えたと言われます。 参考サイト http://www.jtia-tennis.com/w-jtia-katsudou-h11.htm 私の個人的な思い出で言っても、1980年とか81年の頃、ボルグとコナーズ、あるいはボルグとジョン・マッケンローのウィンブルドン決勝での「死闘」を深夜に眠い目をこすりながら見ていたという記憶があります。私なんて、テニスを実際にやったこともない運動神経ゼロのガキだったのですが、そんな奴でも関心を持つほど当時は一大ブームになっていたわけです。 4大大会歴代優勝者一覧 http://www1.odn.ne.jp/haru/data-result/tennis-m.html http://www1.odn.ne.jp/haru/data-result/tennis-w.html






■響子さんとサクラさん 2005年11月27日(日)
響子さんとサクラさんが似ているとよく言われますが、でも実際に見比べてみると大して似ていないです。似ているのは前髪の形ぐらいのもので、基本的にサクラさんの方が目元がキツく、響子さんのは優しいですから。 でもたまに似ている時もないわけじゃありません。これは第1巻の「春遠からじ」からの模写ですけど、初期の表情は時々ちょっとツリ目っぽいので、もしこのコマだけ単独で見たらサクラさんと区別がつかないかもしれません。 一方サクラさんの方も、逆に後期になるにつれやや目元が柔らかくなってきましたので(トシのせいで皮膚がたるんだだけだったりして 笑)、特につばめと一緒にいる時などの幾分優しい表情の時は響子さんに少し似てますかね。






■仲よき事は 2005年11月27日(日)
「仲よき事は 美しき哉」−といえば、「友情」などで知られる白樺派の作家・武者小路実篤の色紙(野菜図)にしばしば書かれた言葉です。 「めぞん」では、その名もズバリ「仲よき事は」というエピソード(ビッグコミックス第8巻)があって、扉絵もそのパロになっていますが、「うる星」でも、私の知る限りこの言葉(もしくは一部)が3回出てきます(「君去りし後」「スケ番グループ色気大作戦」「反省座禅会」。当サイト「うる星ギャグの元ネタ集」参照)。留美子先生ってよっぽどの実篤ファンなんでしょうか。 ちなみに、武者小路実篤が晩年をすごした邸宅を含む「武者小路実篤記念館」が東京・調布にあります(私も昔行ったことがありますが、静かでいいところでしたネ)。 http://www.mushakoji.org/index.html






■四当五落 2005年11月25日(金)
第1話で、五代君の部屋の壁に「四当五落」という張り紙がしてあります。 これは受験生の睡眠時間のことをいった言葉で、「四時間睡眠で勉強したものは合格し、五時間睡眠を摂って勉強したものは不合格する」という意味です。 いつごろから言われたのか知りませんが、受験戦争が活発化した1960年代以降でしょう。実際には、睡眠時間は十分に摂った方がいいわけですが。 また、この「○当△落」という言葉は、おそらく選挙から来た言葉でしょう。つまり「○円使えば当選するが、△円では落選」と言う意味です。 「金権選挙」と言われた田中角栄首相の時代には「五当四落」、つまり五億円使えば当選、四億円では落選などと公然と言われていたものです。






■色男の弱点 2005年11月24日(木)
「うる星」と「めぞん」は対照的な作品ですが、しかし同じ作者が、それも同一時期に描いているのですから、共通点もあります。 例えば、主人公のライバルはともに金持ち、二枚目であり、しかも意外な弱点を持っています(面堂=暗所恐怖症、三鷹=犬恐怖症)。 ただ、「うる星」の場合、面堂はあたるの”恋のライバル”というわけではない(しのぶを含む四角関係はいつのまにか雲散霧消)のに対して、「めぞん」で三鷹と五代君は響子さんを挟む三角関係にあります。なので色男の弱点というのは、単なるご愛嬌という以上の意味も持っています。非の打ち所がない恋敵では、ハンディがありすぎで三角関係の平衡の釣り合いが取れませんしね。






■ラブコメからラブストーリーへ 2005年11月24日(木)
初期の「めぞん」はラブコメと言っていいと思いますが、勿論「ラブコメ」というジャンルのマンガは、「めぞん」が初めてでも、そして青年誌で初めて展開されたわけでもありません。 ひと足先に、少年誌でブーム化していました。1978年に『少年マガジン』で連載が開始された「翔んだカップル」(柳沢きみお)などがその先駆けでしょう。 更に言えば、少女マンガはもともとラブコメが主流だったとも言えます。 また、70年代のテレビドラマで人気を博していたものの中に、ラブコメ物があります。 代表的なのは石立鉄男(今何してるのかしらん)主演の一連の作品、中でも「雑居時代」(1973年)なんかは、ひょんなことからアカの他人の男女が同居することで始まるドタバタ劇・・・というラブコメの王道を行くものでした。 初期の「翔んだカツプル」はまさにそういう設定でしたし、「めぞん」もそのバリエーションと言えなくもありません。 これは影響関係があったというより、時代の空気を反映したものでしょう。 つまり若い男女間の恋愛をストレートに描くことにまだ照れや抵抗があって、それをコメディという装いで軽くしていたのだと思われます。 (あまりストレートに扱うと同棲物のように生臭い話になってしまうし) しかし「めぞん」がそうであるように、ラブコメから"コメ"の要素がだんだん薄くなって、やがては純然たるラブストーリーが主流になっていきました。 「めぞん」がのちに流行したトレンディドラマに影響を与えたかどうか知りませんが、少なくともそういう時代の分岐点の中にあったことは間違いないでしょう。






■響子さんの変身 2005年11月23日(水)
このサイトの「ラムの七変化」で、「うる星」のラムのルックスの変遷を描きましたが、「めぞん」の響子さんのルックスもかなり変わりました。 これはひとつには、単に作者の画力が上達したためです。 初期は、良くも悪くも太くて荒々しくて、垢抜けない線使いでしたが、だんだんと洗練されて、ソフトでまろ味を帯びたタッチになってきました。 またその一方で、画風の変化は作風自体の変化の表れでもあります。 つまり初期と後期では「うる星」の作風が変わっているように、「めぞん」もだんだん路線が変わりました。 初期は、薄汚い下宿にやってきた年上の未亡人を巡る「ラブコメ」という感じでしたが、やがて「純愛ストーリー」になるにつれ、響子さんから初期のちょっとセクシーでアダルティだった雰囲気が影を潜めて行きました。その結果、後期の響子さんは、最初より年を取っているはずなのにむしろ若いというかあどけない感じになってしまいましたね。 もっとも、昔の20代と今の20代を比べたら、外見的には今の方がずっと幼いです。なので響子さんの「若返り」も別に不思議ではないのかもしれませんが(^^;






■「めぞん」と「うる星」 2005年11月21日(月)
初登場時の響子さんです(あんまり似てないね(^^;) というわけで、ここでは「めぞん一刻」について書いて行きたいと思います。 まず、「めぞん」は1980年10月、『ビッグコミック・スピリッツ』(小学館)創刊と同時に連載が開始され、87年4月まで続きました。 ちなみに、前年の79年に『ヤングジャンプ』(集英社)が創刊され、「青年マンガ」というジャンルがマンガ市場の新しい舞台となり、各出版社は相次いで青年マンガ誌を刊行、80年には『スピリッツ』のほかにも『ヤングマガジン』(講談社)が創刊されています。 さて「めぞん」は「うる星やつら」とほぼ連載期間が重なっています。しかしファン数で言えば、連載時も、そして現在も「めぞん」の方が劣るでしょう。例えば「るーみっくさーち」さんに登録されているサイトの数などを比べてみても、ずっと少ないです。 これはある意味では当然のことといえます。というのは青年誌が発表舞台であるように、対象年齢層を高く設定していますので、自ずと読者層が限られてくるからです。勿論、小・中学生が読んでもそれなりに面白いとは思いますが、「うる星」のような普遍性はないでしょう。 また、ギャグマンガである「うる星」が完全な絵空事であるのに対し、現実に対応している「めぞん」の場合はより時代性に限定されますので、今読むとズレている部分があるかもしれません。例えば、これは過去の恋愛物全てにいえることですが、ストーリーの重要素として必ずといっていいほどある「すれ違い」などは、ケータイが普及した今となってはあまり起こりえなくなって来てしまいました。これは刑事物だってそうですね。犯人追跡の途中で、仲間に連絡したいけれどすぐそばに電話がないのでその場を離れるわけにはいかない・・・なんて、ハラハラドキドキの展開が作れなくなってしまいました。味気ない話ですが。 それはともかくとして、更に言えば、ストーリーが完結している「めぞん」の場合、2次創作などの対象化となる余地が少ないですから、ファン活動のテーマも情報考察などが主にならざるを得ないでしょう。なので、本来はこういう考察なんて私ごときがやってもしょうがないんですけどね(笑)「うる星」の場合はあんまりやっている人がいないのでネタとか穿り返す価値が少しはありましたけど、「めぞん」は既にやり尽くされているでしょうから。 でも、まあ、私なりに感じたことでも書いて行ければ、と思います。






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